今日のワッキー

なぜかそこにいるひと

大学時代、「なぜかそこにいるひと」がいた。
大体の場面で、大体いるひとのこと。
40,50人のグループになると、重要な局面に居合わせたり居合わせなかったりするが、そのひとは、大体の重要な局面に、居た。
重要な局面とは言いつつそんな真面目な話ではなくて、その団体で一番笑いが起きた場だとか、逆に説教を受けている輪の中だとか、その程度のことである。しかもそのひとは、ただのお調子者とか、グループのリーダーのような存在ではなかった。どちらかといえば状況を静観しているような、そんな感じのひとだ。

テレビでもよくあることだと思う。なぜかあの番組にもこの番組にも出ているひと。バラエティーに出ていたかと思えば、つぎの日にはドキュメンタリーのナレーションをしていたりする。ま、芸能界にはコネクションがあって、あるプロデューサーと仲良くなっていればいろいろな番組に出られるというようなこともあり得るのかもしれないけれど。

いずれにせよ、こうした「なぜか大体いるひと」というのは、場の空気を読むのが上手いのだと思う。ここは押すべきだな、いやいや引くべきだな、ということをいつもやってのけるのだろうな。なんとも憎たらしい存在である。そこにしびれる、あこがれる。

ところでこの空気を読むというのは、なんとも形容しがたい。日本人は昔から行間を読むことが美しいとされてきていたから、 「空気を読む」という得体のしれないことでも何となく共通認識がある。私が思う「空気を読む」も、たぶんああいうことで、たぶん世間一般の認識とそんなに違わないんだろうなあと、たぶん思っている。場を乱さないように静かにしていることも、場を盛り上げるために発言することも、空気を読むことだ。場を壊すことだって、長い目で見れば空気を読むことかもしれない。そうなってくると、場の状況を理解して、その時の「正しい判断をする」って、いったいなんだという話になる。

たぶん、一生かけても答えはでないのかもなあ。

しかし、そのひとはそこにいるという事実だけは、ばーんとある。どのバッグにも大抵ガムが1,2個入っているのと同じだ。10円玉でもいい。タバコを吸っている人は、ライターがそれか。多分、無意識にグループも彼を求めているんだろう。
その証拠に、今秋の結婚式の2次会に、私は彼を呼ぼうとしている。