今日のワッキー

いそいそと歩く人

電車から飛び出る人がいる。

たぶん、そういうひとは、飛び出る直前の姿には気を遣っていない。ドアの手前数センチの所まで顔を近づけているその様は、なんともおかしい。その姿を見るたびに私は、なにもない広い高原にドアが一つだけ置いてあって、数センチの距離でその人が立っている姿を想像して、吹き出してしまいそうになる。ひろーい高原に人とドアがちかーい!って。

いい人もそうでない人も、理由があっていそぐ。
会社に行く、学校に行く、家に帰る、友達に恋人に会いに行く、病院に行く。或いは、借金を返しに、なにか変なものを渡しに、卵を投げに、大事なものを川に捨てに。もしかしたら、何かから逃げる途中かもしれない。みんなスーツを着ていたって、会社に行くとは限らない。空き巣はスーツを着るらしいからね。

ふと、自分はどういうときに急ぐのか考える。
僕に関わるみんなにはほんとうに悪いけど、時間に間に合わなそうなとき、僕は歩いている。だって、遅れていることには変わりがないのだから、遅れた時間をすこしでも短くしようとするその「あくせく」は意味がないと思う(ところであくせくって悪戦苦闘からきてるの?)。
そして、僕は学生の頃、先輩がご飯をご馳走してくれたのを後輩に返したように、僕が誰かを待っていた時間を他の誰かに返しているだけなんだと思っている。まだまだ、「僕が待った時間」の借りを返せていない。恵比寿で吉田くんを待った2時間半ですら、返済できていないと思う。だからみんな、僕が遅れているときは、吉田くんをうらんでほしい。

話が逸れたけれど、とにかくそういうときには僕は急がない。やっぱり急ぐときは、家に帰るときである。
家の匂いに、ご飯に、僕は足を早める。高校のときだって、バンドの練習が無いときは、一目散に家へと向かっていた。何時何分の電車に乗るためには何時に学校を出て、何時にここを通過しないといけない…と日々、あくせくしたものだ。
友達と一緒に秒単位の乗り換えに成功して嬉々としていたことだってある。まったく迷惑乗車もほどほどにしろと当時の僕に言いたい。

 

…いや、あのときはよく乗れたと、褒め称えてやりたい。