今日のワッキー

人参の葉っぱ

人参の葉っぱを、たべたことがあるだろうか。私は、ある。とても美味しい。サッと油で揚げて天ぷらにする。そこにポン酢を少々垂らすだけというシンプルなものだ。衣と葉っぱのサクサクした食感、人参の葉っぱの葉っぱ感が、とても好きだった。
美味しい記憶というのは、美化され続ける気がする。特に小学生や中学生の頃に食べたのが最後だった場合は、ことさらに美味しかった記憶が増幅される。だからもしかしたら、人参の葉っぱもそうで、今食べてみたらそこまで美味しくないかもしれないね。「美味しい」は変わるよなあ。

小学生の頃、父親が趣味で畑を借りていた。私も兄もたまにそこでの作業に駆り出されていたが、何を作っていたかはあまり覚えていない。人参と、、、なんだろう。たぶん一般的なものばかりだったと思う。とにかく、人参だけは覚えている。人参の葉っぱがあったからね。

父親が畑を借りるのをやめてからというもの、人参の葉っぱを食べていない。スーパーにはまず無いし、身のまわりに畑を持っていて、人参を作っている人を知らないものだから、目にする機会がほとんど無いのだ。ほんとうにどこに聞いても、ない。わざと私を人参の葉っぱから遠ざけているような感覚さえある。嗚呼人参の葉っぱ、どこにいるのですか。

そういえばこれを書いていて思い出したけれど、去年の夏に三浦くんのおばあちゃんの家に遊びに岩手まで行った。ご夫婦で老後を過ごされていて、もともと東京で天ぷら屋さんをしていたようだ。もちろん、岩手でも天ぷら料理をたらふくご馳走になった。
私は、人参の葉っぱの天ぷらは立派な料理だということを証明するために、三浦くんのおじいちゃんに人参の葉っぱの事を訊いた。「ああ、おいしいだろうね」という応えだった。
じっさい、人参の葉っぱの天ぷらが、稀有なものでもありふれたものでも、どちらでもよかったんだよね。前者であれば僕の家族しか知らないレシピということになるし、後者であれば、僕の家族が間違っていなかったということになる。まあ現実はその中間で、今のところ三浦くんのおじいちゃんと僕の家族しか知らないレシピということになっている。プロと肩を並べているようでちょっとうれしい。

そこにしかない言葉やルールなどはそれぞれの家族にあるけれど、それが食べ物の素材となると、そうあるものではないのではないかと思っている。一見して質素なものとして見えるかもしれないが、なにせあの三浦くんのおじいちゃんのお墨付きだぞ。ぜひ試してみて欲しい。

まあ一番の問題は、人参の葉っぱを見つけることだけれど。