今日のワッキー

僕の好きな待ち時間

時間の長短はあれど、1日の中で「待つ時間」というのはどうしても発生している。いろんなビジネス書や啓発書には、このスキマ時間こそ有効活用せよとしきりにかかれているけど、なにをすることが「有効に活用すること」かは個人によるのでほっといて欲しかったりする。

僕は、病気じゃない時の診察待ちの時間が好きだったりする。例えば眼科。今からの時期は花粉症で目が辛いときに行ったりもするけれど、体調自体万全であれば、好きな時間かもしれないと先日気がついた。

受付を済ませ、やや柔らかみのある椅子に座る。前後左右には電車のそれよりもゆとりがあり、なかなか快適である。病院内は専用のUSENでもあるのか、オルゴールやらなにやらでアレンジされた音楽が小さめに流れている。室温は、丁度うたた寝をしてしまいそうなまどろみを持つあたたかさだ。加湿器もあるので決して不快ではないもったりとした空気が漂っている。
まさに、そこに座っていることを許された空間だ。

この待ち時間を手に入れた時、僕は「なにをしてやろうか」という衝動に駆られる。この快適空間では、なにもかもできる気がする。ネットサーフィンも良いし、ここの記事だって集中して書けるだろう。本を読むのもうってつけかもしれない。若しくは、なにもしないでそっと目を閉じるのだっていい。眼科の待ち時間には、開放感がある。

この感覚に似たものは無いか考えていたら、あった。高校の終業式後、担任が来るまでの空白時間だ。
クラスメイトは皆知っている人で気にならないし、学期の終了の日なのでテストには追われない。授業の予習・復習だって要らない。翌日から待ちに待った長期休みが訪れる。まさに、何も考えなくても良いし、何をしてもいい時間だ。ゲームを持ち込んでやってもよかった(別に校則違反でもなんでもない)し、長期休みにやる曲をバンド仲間と決めてもよかった。心身ともに開放感あふれる空間である。

これらの時間・空間は、土曜日の朝、日向でホットココアを飲む時よりも、心は休まっている。もちろんホットココアもそれらに匹敵はするのだけれど、束の間の休日は何かをしたいという気持ちとしなくちゃもったいないという気持ちで興奮状態にあるのだ。それはそれでとても良いけどね。

電車を待っていたり、乗って目的地に向かっている時は、自由時間とは言うけれど、そこまで好きにはなれない。だいいち、電車のガタンゴトンはいつだって耳に入ってくるし、なにより他人との距離が近すぎる。なにかをするにはうってつけの時間かもしれないけれど、好きには程遠いなあ。

こうして僕は、好きな時間を探して見つけてなんとか生きているけれど、歳を重ねたらこの好きな時間が今よりもっと増えていることを願っている。というか増やしていかないと、何のために生きてるかわかんないよなあー。とりあえず、ホッピーを安い焼酎に入れて混ぜている瞬間は、いつまでも続けていきたいぞ。